屋形船の歴史 ―舟遊びは昔から「ちょっとぜいたく」

屋形船の歴史 ―舟遊びは昔から「ちょっとぜいたく」

池や川での舟遊びは、かなり昔の古代から楽しまれてきた日本伝統文化の一つです。日本人の舟遊びの歴史を簡単に振り返りましょう。
 
⑴.古代
いちばん古い舟遊びは、『日本書紀』に履中天皇(りちゅうてんのう・仁徳天皇の子)が「両枝船(ふたまたふね)で遊宴を楽しんだ」と記録されています。西暦402年のことでした。
奈良時代に成立した『万葉集』にも、宮人の舟遊びが歌に詠まれています。
 
平安時代に入ると貴族の間で舟遊びがすっかり定着します。「龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)」という、船首が龍や鷁(げき、空想上の鳥)の形をした舟のうえで管弦のあそびをしたり、歌を詠み交わしたり、舞を舞ったりして楽しみました。遊びではありませんが、藤原頼通は宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来を、堂正面の池に浮かべた舟のうえから拝んだそうです。そこからがベストアングルだったようです。
 
ここでもう明らかなのは、舟遊びは身分の高い人たちが行う、かなりぜいたくな楽しみだったということですね。
 
⑵.中世

室町時代、特別な大名だけに与えられる称号・敬称に「屋形号」というものがありました。この称号を許された大名は「御屋形様(おやかたさま)」と呼ばれ、その御屋形様が乗る舟が「屋形船」でした。屋形船が言葉として生まれたのはこの頃になります。
ただ、「屋形船」は舟のうえに家のような建物を設えたものを意味しており、こういう形の舟としては弥生時代の土器にも描かれていますし、『万葉集』にも出てきます。
御屋形様たちの屋形船は、ほかの大名をもてなしたり、連歌の宴をもよおしたりといった使われ方をしたことでしょう。
 
厳密には近世の話ですが、織田信長や豊臣秀次らが、宮中の舟遊びをまねて、船上で連歌や謡(うたい)、茶の湯を楽しんだという記録もあります。
 
⑶.江戸時代

江戸時代に入り、平和な時代になると、有力大名や豪商が船を使った遊覧をするようになりました。だんだんと競うように豪華なデザイン、造りを誇るようになり、大型化もしました。
もちろん、そのような船には一般庶民は乗ることはできませんでした。
しかし、イタリアのヴェネツィアにも匹敵するほどの水運都市だった江戸には、河川や運河が縦横に走っており、早い時期から小型船をこんにちのタクシーに近い感覚で利用する人びともいました。もちろん多少裕福な人たちですが、商人などの一般庶民でした。
つまり庶民が船に乗ることは別に禁止されていたわけではないのです。ですから、粋な江戸っ子たちは小さな船に屋根付きの小部屋を乗せる「ミニ屋形船」を考え出して、遊覧・舟遊びを始めたのです。特に夏場、隅田川のうえに船を浮かべて涼をとるというのが、流行の楽しみ方でした。
こんにちの屋形船の楽しみ方の、直接のルーツがここにあるわけです。
 
商人を中心に江戸庶民がだんだん豊かになるにつれて、屋形船も大型化しました。17世紀中頃には、長さ26間(約47メートル)もあり、船頭が18人も乗る屋形船がありました。さらには、座敷が9部屋に台所が1つあるので熊市丸(九間一丸)や、座敷8部屋と台所で山市丸(八間一丸)という、「豪華客船」と呼びたくなる大型屋形船もありました。
しかし、江戸幕府はたびたび倹約令を出してぜいたくを禁じます。屋形船も大型豪華船は使われなくなり、小ぶりで質素なものだけが使われるようになりました。
 
そうした小型の屋形船、正しくは「屋根船(やねぶね)」ですが、それらは船宿や小料理屋が所有し、客を迎えに行ったり送ったりするのに使いました。『鬼平犯科帳』に登場する密偵・小房の粂八は、船宿「鶴や」の主人を隠れみのとしました。映像をご覧になれば、だいたい船宿とはどんなものか、おわかりいただけるでしょう。
その屋根船は日除け船とも呼ばれ、小型船に四阿(あずまや)を乗せたようなもの、つまり4本柱と屋根だけをつけたものでした。周囲の仕切りはすだれ掛けです。涼しげな風情がたのしめそうですが、これは障子をたてることが武士以外には許されていなかったためでもありました。漕ぐためには今のように竿を使ったわけではなく、櫓で操ったとされており、その様子は江戸時代に描かれた浮世絵でも見ることができます。

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