屋形船の近代
2020年04月07日 13時14分
明治時代に入ってからも屋形船は多くの人びとに親しまれました。比較的裕福な層の人びとを中心に、屋形船での舟遊びの歴史は大正時代、昭和初期まで続きます。しかしそれが、一気に衰退してしまう時期がありました。太平洋戦争です。物資や食糧が乏しく、あっても戦場へ優先的に送らなければならず、庶民は配給制で食べ物や生活必需品を入手していた時代です。とても舟遊びを楽しむような余裕はありませんでした。
戦争が終わってからも、しばらくは屋台船の復活はありませんでした。しかし、1950年に起こった朝鮮戦争の頃から日本の経済は上向き始め、東京湾岸では釣り船業が営まれるようになってきました。その当時は東京湾の水質も良く、魚も多く、釣果もよかったので、船宿は多くの釣り客でにぎわいました。
ただ、その後の高度経済成長期に入ると東京湾の水質は悪化してしまいます。さらに、河川には無粋な護岸工事がほどこされ、東京湾岸の埋め立ても進みます。こうした背景から釣り船業は衰退を余儀なくされます。
しかし1970年代後半に、ある一軒の老舗船宿が木造屋形船を復活。その後、釣り船業者が釣り船を屋形船に改装する動きも起こりました。やがて強化プラスチック(FRP)で造られる屋形船もみられるようになりました。
屋形船が本格的に復活するのは1980年代半ばのことです。バブル景気もあいまって、ちょっとぜいたくなレジャーとして人気を集めるようになりました。この頃には東京ディズニーランドがオープンし、1990年代に入るとレインボーブリッジやお台場など、新しい観光スポットもあらわれ、見どころとなりました。